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『広告に[PR]と入れるか問題』から見えてきた昨今のインターネット事情

興味深い話題

 散々話題になっているので、敢えてこちらで解説しようとは思いませんが、全く本件をご存知ない方は以下のリンク先でご覧ください。ネットウォッチャーの神Hagex氏がまとめております。

hagex.hatenadiary.jp

 私はとても興味深い話題だと感じていたので、Facebookのやりとりから追っていましたが、結構難しい問題なんですね。どちらの意見も分かるというか、明確なガイドラインのない事柄についての論争なので、最終的には優良誤認というよりは、社会的なモラルの話に帰結するのではないかと感じております……現段階では。

 ただ、記事に[PR]と付いていることに対しての客観的な評価は、個人ごとに異なってしまうでしょうから、この話題に関して何らかの立場を取って語ってしまうと、下手すると火傷をしてしまいそうな感じです。怖いですね。

まあ自身の意見も書いときますけど

 個人的には、という逃げ口上を述べてから書いておくと、私は[PR]と付いていても付いていなくてもどちらでも良いです。インターネットを利用する側として、記事のタイトルから記事内容の相対的な価値を効率的に判断することが難しいと考えているからです。その判断材料として[PR]という文字がそこまでの意味を為さないのではないかと思います。つまり、[PR]とあってもなくても記事の面白さは分からないということですね。*1

 さて、[PR]を付けた方が好ましいと考える方々が引き合いに出しているのは通信量について、所謂「ギガが減る」ということが論拠になっている? のではないかと思います。確かにワンクリックを経てから広告だと知るのと、ワンクリックする前に広告だと知るのとではギガ以外にも、何物にも代え難い人生の有限な時間をも消費してしまうので[PR]とあった方が親切なんだろうな、とは思います。そうなってくると、どちらにも理があるわけで、そりゃ論争したら拗れるよなと思います。普遍的なルールがある話ではないですし、事実、はてなブックマークでも意見が割れているようでした。ただ、意見が割れるということはそれだけ価値のある題材であった、ということでもあります。私はこうしたディベートが好物ですので、エンタテインメントとして、数多のやり取りは素晴らしいなと純粋に感じました。[PR]についての話題はね。

しかし本件は場外乱闘にも発展していく

 この話題、元々はFacebookで特定の2名がやり取りをしていただけだったのですが、いつの間にかその2名に関連する方々を含めて大きな論争となっていきます。しかし、単純に本来の『広告に[PR]と入れるか問題』で終始するわけではなく、途中からノイズが混じるというか、少し議題としてはズレていってしまうわけですね。そこには明確にポジショントーク的な要素も含まれていたり、問題の本質を理解していなかったり、事実誤認があったり、様々な要因があったわけですが、それらのやり取りの中でハッキリと感じたことがあります。それは「討論をする時に相手を理解しようとする意思が微塵も感じられない」ということです。これはとても勿体無いことなんですよね。

 人間が会話をするのは自分の思いを伝えるためです。逆に人の話を聞く時は、相手の気持ちを知るためです。つまりコミュニケーションなわけですが、せっかく言語表現があるのに最初から喧嘩腰でいってしまうと、『自分の言説はすべて正しく、相手の言説はすべて間違っている』となってしまいがち。むしろスタンスとして、相手の話をしっかりと聞く姿勢でなければ、相手だって自分の話を聞いてくれません。これは、お花畑理論といわれてしまうかも知れませんが、結局のところ言葉は相互理解を図るための利器であって、マウントポジションで相手をぶっ倒すためにある武器ではありません。それだけに、今回の論争の中で悪意に満ちていただけの言説は、何とも読んでいて心苦しいものでした。誤解されることが嫌なら、最初から冷静に失礼のない表現で話し合いに興じれば良いのです。もっとも、自分が賢いと考えている人にとっては、自分が一番正しいので、その辺りの境地には至らないのでしょうけど(この表現も悪意に満ちているか?)。

 なお、本件は特定個人に向けて書いていないので悪しからず。論争の中で感じたことだけを記述しています。みんな賢いのに、どこかで自分の方が優れているという意識が見え隠れしてしまうので、やっぱり言語を扱うのは難しいものだな、と自戒の意味も込めて記載しております。私もある程度はそうなのですきっと。

 最近、こういうのが多い

 ネットで論争は昔からありましたが、SNSも発展してきてネットバトルを目にする機会が増えてきました。政治家もネットで喧嘩する時代です。凄い世の中になりましたね。私は平和主義者ですが、他人の喧嘩を見るのは好きです。悪趣味ですが、仕方がないこと。本来は先の項で書いた通り、建設的な話題を元にディベートして欲しいなんてことも考えてますが、バトルはバトルで見応えはあるものですので。

 ただ、最近のバトルは端的に『誰が一番賢いか選手権』になっていて、承認欲求が明確に見えてしまいます。インターネットは多くの人間が利用しているので、その中で目立ちたいというのも分かるのですが、それが無意識的であるかどうかは抜きにしても、ちょっと美しいやり取りではないのではないかと思います。そこに横槍を入れる色んな外野コメントも、もう少し気の利いたものにして欲しいのですが、理解し難いもの、主語がないもの、論拠に乏しいもの、色々とあって、年々ネットの質が落ちて来ているなと感じております。別に昔が良かったなんていう気もありませんが、何かを語るのであれば明確にある程度の分量で記述して欲しいということです。

 ネットでは発言に対しての敷居が低くなっていますし、突拍子のないことを言っても誰かが絡んでくれるかも知れない。文字数が少なくても、根拠のない主張でも、共感を得ることが出来るのかも知れない。でも、それじゃつまらないと思うんですよね。

 面白くない記事もネットの恩恵だとは思いますが、どんなに面白くなくてもつまらなくても理屈があって筋が通って入れば良いと思います。それは価値観の表明として正しいことだから。しかし、悪意だけを包んだインスタント性のある語りだけはどうしても好きになれません。好きになれませんが、最近のインターネットではそうしたものが増えて来ており、ネットとの向き合い方において私個人の中では社会のそうした潮流の方が、よっぽど[PR]云々問題よりも深刻なものとなっております──以上。

*1:まあ[PR]と付いているかいないかは提供元があるかどうかの判断材料とするだけ、というのが本質ではあるのでしょうけど、大多数の人が広告に対してマイナスイメージを抱いていて[PR]とあるかないかによって「恐らく面白くはない記事」であるという判断をするだろうから、敢えて記事の面白さ・つまらなさという価値観でここは書いておきます。

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