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没個性テーマパーク:EXTRA

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ネガティヴ人間の心情の移り変わりを丁寧に描いた『三日間の幸福』を読みました《評価・感想・レビュー》

ネガティヴ耐性が必要かも

 本作は<げんふうけい>名義を用いてネットでも活躍していた、元Web小説家、三秋縋の小説作品です。前々から気になっていて今回やっとのことで読んでみましたが、もう主人公が凄くネガティヴで辛かった(褒め言葉)。

 鬱屈系主人公の小説はこれまでも読んだことがありますが、本作もかなりのネガティヴ度合いではないでしょうか。表現やストーリー展開など、とても丁寧に描写されていましたので、リーダビリティの高い小説ではありますが、ネガティヴ耐性がない方が読むと終盤あたりまでは大変な思いをするかも知れません。ただ、ハッピーエンドを想定させるタイトルと、序盤からとにかく鬱々とした毎日を繰り広げる主人公に「きっとこの物語にも最終的には救いが訪れるはずだ!」と、そんな期待をしながら読み進めました。さて、結果はどうだったでしょうか?

 ちなみに、今回の読書時間は2時間程度でした。本書は166ページの文庫。

あらすじ

 人生の薄暗さに嫌気が差していた俺は、ある日寿命を買い取ってくれる店があると噂に聞く、半信半疑ながらもその店を訪れ店番に俺の値段を査定してもらうと、なんと1年につき1万円という衝撃的な結果が出る。将来に良いこともないことが分かり、未来を悲観した俺は、僅かの余生を残し大半を売り払ってしまう。

 残りの人生でやりたかったことをするが、何をしても裏目に出てしまい、更に絶望の淵へと歩み寄っていく。そんな俺の魂の拠り所となるのは、余生を見守る監視員のミヤギだった。彼女との毎日が、少しずつ俺の人生を変えていくことに、残り僅かの時間で俺は気付くことになる。

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とにかく辛いストーリー

 ここからネタバレも交えての感想となりますのでご注意ください。

 物語冒頭から鬱々とした主人公の一人語り、過去の回想が始まります。曰く「昔は良かった。俺が10歳の時は……」といった話が主体です。

 主人公のクスノキは子どもの頃は大変頭が良く、周囲の人間を見下していたと、俺は将来とても立派な人間になるのだと、そんな風に考えているようでした。しかし、10歳だった頃から時が経ち、大学生になってみると、実は自分は大抵の人間と変わらない<普通の人間だった>と気が付いてしまいます。いや、それどころか、周囲の人間と積極的にコミュニケーションを取らなかったことが災いし、普通の人間以下の存在、価値としては最低の人間であると分かってしまいます。

 あらすじにも書いた通り、クスノキは寿命を買い取ってくれる店で自分を査定して貰った時にその事実を知るのですが、実際にとても辛いことだっただろうと思います。彼がその現実を受け入れられず「それでもいつか良いことがあるはずだ」という考えに陥ることさえも、未来に起こる出来事すら把握している査定業者(神なのか?)によると、クスノキの人生には良いことなんて一つもないということが確定してしまいます。

 これが本当に辛い。辛すぎる。

 我々というか、私もそうなのですが「いつかきっと良いことがある」と信じて生きている人間は多いはずです。しかし、それは自分自身の正常性を保つために自己を納得させているだけで「大体、このままの毎日を過ごせば、大して良いこともなく、しかし悪いこともなく、普通に人生は終わってしまうのだろう」なんてことも、心のどこかでは気付いてしまっています。ですが、その現実を受け入れて残りの人生、仮に50年あったとして、それを知ったままに生きるのは余りにも困難です。だからこそ「いつかきっと良いことがある」と自分に言い聞かせることによって、悪い言い方をすれば、自分を騙して生きているのではないでしょうか。それが普通でしょうし、当たり前な考え方だと思います。

 この小説の主人公は、そうした救いようがない事実を現実的に目の前に提示されてしまうわけですから、よくその時点で精神がぶっ壊れなかったなと、ある意味では感心してしまいます。価値のない自分の余生を大半売り払って、残りの人生を有意義に過ごすため、これまでやれなかったこと、でもやりたかったことを実行に移すという筋書きには、なるほどと思わされました。

やりたかったこと、とは?

 自分がもうすぐ死んでしまうと分かったら、人はどうするのか? というのは様々な物語や現実世界でも普遍的なテーマとして取り扱われますが、クスノキもご多分に漏れず<会いたかった人に会う>といったようなことを考えます。クスノキは幼少時代に唯一心を許していたヒメノという女性に会いたいと考えるわけですが、そうした些細な願い、自身が心からやりたかったことをやってみても、この物語ではことごとく裏目に出てしまいます。

 自分が心を許していた人が逆に、自分に好印象を抱いているなんてのは、まやかしだと、そんな保証はないということを教えてくれます。本書に限っていえば、かなり痛みを伴うエピソードでその現実が語られていくのですが、まあ辛いですね。結局、クスノキは、自身が見ていた他者と、他者から見られている自分の整合性を見失っていくわけですね。この小説では、そうした世界から裏切られ続けていく主人公を読者が観察することになります。我々もミヤギと同じく監視員の立場なのかも知れませんね。

 この辺りの描き方には、一個人が死ぬ前にやりたかったことをすることが、世界を変える切っ掛けにはなり得ないという作者のメッセージも読み取れます。クスノキは他者と接する内に、自身が世界からどう見られているのかを肌に感じていくわけですが、そこに来てやっと自分という人間が、世界にとっては取るに足らない存在であることを認識していきます。残酷な話ではありますが、クスノキにとっては、そうした事実が突き付けられることによって、良い意味で人目を気にしない自分の本来の姿を取り戻していくという結果に繋がっていきました。

残りの余生を誰かのために生きようという決断

 本書のタイトルである『三日間の幸福』の意味合いは、物語のラストで明確に描かれているのですが、この幸福については読み手によってハッピーエンドかバッドエンドか評価が分かれる部分だろうと思われます。私はどっちかな……シンプルな考え方でいうと、当事者にとって幸せであったならハッピーエンドだったのではないかと思われます。ただ、他者から見たら、バッドエンドかも。

 しかし、作者の意図としては<どちらでもない>が正解だったのではないでしょうか。本書の「あとがき」を読むと明確に描きたかったことが分かるのが親切です。攻略本くらい親切。

 主人公のクスノキは自らが生き辛くなるように物事を選択して生きて来た馬鹿であると、その馬鹿も自らの人生の残り時間を明確に認識することによって、やっと馬鹿な自分から解放され、自分が目を背け続けていた世界とやっと対峙することが出来ると。自分が拒否し続けていた世界がいかに美しく尊いものだったかを初めて認めることが出来ると。ただ、そうした認識を得ても、彼には残された時間は少ないのですが……。

 そんな彼が僅かの時間を最も自分が幸せだと感じられる結果を得ることが出来たのは、それはそれで満たされた結末となるのではないでしょうか。この、<満たされた>という点には幸福か不幸か、という意味合いは該当せず、単純に言い知れぬ充足感というものとご理解頂ければと思います。

 色々と考えさせられる小説であったことは確かですが、読み手を選ぶのは間違い無いでしょうね。感動巨編といった話ではありません。とても淡々とした内容ですし、起伏に富んだエピソードが含まれているわけでもないです。また、個人的にはヒメノとの邂逅についてはもう少し説得力を持たせた、彼女がクスノキのことを何故そう捉えるようになったのか、その理由をページを割いて描写して欲しかったですね。

 著者の小説はまだ何冊か買ってますので、引き続き読んでいきたいと思います。

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