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没個性テーマパーク:EXTRA

Wait a minute, wait a minute. You ain't heard nothin' yet!

ゲームにおけるハイスコアは価値がなくなってしまったのか?

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『ドンキーコング』の思い出

――高橋名人が活躍していた1980年代はファミコンが主流であり、当時の少年達は皆、ハイスコアを目指して繰り返しゲームをプレイした。

 

 たとえば『ドンキーコング』という1981年に発売されたファミコンソフトがあるが、アーケードと違い、コンシューマ版は全三面構成で、繰り返しのループをひたすら巡り続けるストーリーだった。日本語が変だけど――ドンキーコングには細やかなストーリーなんてないんだけど! でかい猿に攫われ続けるポリーンを何度も何度も助けるゲームが『ドンキーコング』なんだよ。それがストーリーで、それが全てなんです。このゲームは。

 そう、あのでかい猿が、実はマリオのペットだったという驚くべき話を知ってからは、「ドンキーコングって、些細な、それでいて巨大な家庭内戦争だったのか!」と衝撃を受けたのだが、まあとにかくだね、でかいドンキー猿を倒しながらポリーンを助け続けると、スコアがぐんぐん上昇していくシステムだったわけだね。

 僕は小学生の頃、そのゲームを何度もプレイして、何度も全3ステージをぐるぐる巡って、輪廻転生の渋みを味わいつつ、樽とか火の玉とか避けて、ハイスコアを記録しては紙に数値を書き殴っていたわけです。当時のファミコンのロムは、セーブ機能がないものがほとんどだったから、ご多分に漏れず僕も外部媒体である<紙(ノートの切れ端)>にロケット鉛筆で生データを記していたわけですよ。

 だけど、僕は自慢じゃないけどゲームが下手なんです。

 とっても、とっても下手なんです。

「とってもとっても大好きよ~」なんて某広末涼子の名曲が存在しますが、とにかく僕は下手の横好きでゲームをやっています。下手でも出来るゲームが大好きなんです。

『ドンキーコング』はゲームバランスがしっかりしていたので、下手な僕でも4周は出来ます。3ステージ×4だから、実質12ステージくらいをするわけだが、『ドンキーコング』に限っていえば、そのくらい周回すると敵キャラクターのひとつである<ジャンプ台らしき何か>を避けられなくなって来ます。

 

 あの、ジャンプ台らしき何かは一体何なのだろう? 未だに分かりません。説明では<ジャッキ>らしいですけど。ジャッキがあんなに飛び跳ねてるなんて世紀末も良いところです。ジャッキが飛んで来て、マリオは当たって死ぬんです。そんな危険なジャッキがあって良いのでしょうか? そんな攻撃力の高いジャッキは、酔拳のジャッキーだけにして欲しい。

 

 さて、上手に滑った所で、閑話休題。

 当時のファミコンソフトは、一端ゲームをクリアしてもスタートに戻る<周回プレイ>が当たり前でした。となれば、目的意識として何を目指すことになるか? といえば、それが「ハイスコア」なのです。

ハイスコアはそのまんまステータスだった

 データ容量の少ないファミコンにおいて、RPGやアクションゲームなどで流行った「早解き」以外での<ゲーマーとしてのステータス>となった主流は間違いなく「ハイスコア」でしょう。

 ただ、昨今のコンシューマゲームにおいて、ハイスコアはそれほど価値が無くなってしまったのではないかと思います。「昔のゲームは良かった……」と懐古するわけでもないんですけど、もっとハイスコアを目指すことに主軸を絞ったゲームが開発されても良いと思うんですよね。

 高橋名人と毛利名人の『スターソルジャー』決戦並みにえげつないバトルが繰り広げられても楽しいんじゃないかと思います。ただ、皆さんが仰る通り、最近のゲームは自由度が広がりましたから、やりこみ要素を作り手が自由に設定出来るのもあって、別にハイスコアだけがゲームの価値ではなくなった、という気もします。それは理解出来るんですが、単純性を持ったゲームの追求として、ハイスコア至上主義はある意味では最適解だったんじゃないかなぁ、とおじさんゲーマーは感じるわけです。何せ、もの凄く単純な指標だけでステータスを感じることが出来ますからね。「俺62500点。お前62300点。はい、お前の負け~(ドヤ顔)」ってのが出来ましたからね。

 そういった点でいえば、昨年流行った『flappy bird』なんかはまさに、その本流に従った中毒性の高いゲームだったので、僕も思いっきり楽しめました。

ただ、ハイスコアを求める価値は失われつつあるのではないか

 別に最近のゲームに警鐘を鳴らすわけではないので、勘違いしないでください。

 今、世の中にいる人の大多数がゲームをプレイする目的として抱いているのは、そのゲームをクリアすること。この一点だけなのではないかと感じるのです。

 ただ、それだと、誰がプレイしてもある程度の時間を掛ければクリア出来るということになってしまい、<誰が最も優れたプレイヤーなのか>を判断する基準がなくなってしまうことが危惧されます。いつも名前を出して申し訳ないのですが『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などだと、クリアしたら結果だけが残りますので、プレイヤー同士が語り合うのは「あのイベント良かったね!」「ラスボス案外弱かったね!」とかに終始してしまいます。この事例はRPGではありますが、アクションゲームの例にしたって『魔界村』とか『ロックマン』とかだと、クリアしたらそれだけで会話が終わってしまいそうです。いや、クリア難しいゲームなんだけどね。

 しかし、スコアという概念があるゲームであれば、どこまでスコアが伸ばせたかがゲーマーの技量を計る指標となって良いのではないかと感じるわけです。

 当時の方々が『ゼビウス』をカンスト(カウンターストップ)させることに命を賭けたように、同じようなハイスコアを目指して切磋琢磨するようなタイトルが増えたら、それはそれで選択肢が増えて良いのではないかと感じる。

 スマートフォンゲームが主流となって久しい昨今ですが、チートが使えないしっかりとしたシステムを構築したハイスコアを目指すだけの単純なゲームをしたいなぁ、なんて思う年末なのでした。

 

 最後に蛇足を書くと、僕が一番得意なゲームは『アーバンチャンピオン』です。下手の横好きでも70面くらいまで進んで、白い王冠をいくつかゲットしました。全部で139面というから、まだまだなのでしょうけど……。

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