没個性テーマパーク:EXTRA

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仕事の価値

 16歳からアルバイトを初めて、それからずっと働き続けているわけですが、僕はこれまでずっと<労働の対価が給与である>という考え方を抱いていました。しかしこの間、しっくりとくる話しをとある人から聞いて目から鱗が落ちたのだった。自分の考えは間違いだったかも知れないと考えるような――。

 ある人曰く「給与は労働の対価ではなく、価値の代価である」だそうだ。つまり、いくら時間を掛けて働いても、それが顧客にとって何ら価値を生まないものであれば、給与として跳ね返ってこない……ということだそうだ。

 気が付いてしまえば当たり前に過ぎる話だが、しかし労働者としては気が付きにくいことではある。僕は昔、確かに給与の対価は価値であるという考え方を抱いていたはずだが、それを忘れてしまっていたようだ。今一度、昔を思い出しながら振り返ってみたい。

 

 時給制で仕事をしていて、例えば1時間700円の時給を得ていたとする。しかし、コンビニバイトなどで(僕は昔、コンビニ店員だったわけだが)1時間700円を貰っていたとして、本当にその1時間で700円分の仕事を出来ていたのかは疑問が残るわけです。

 コンビニの顧客にとっての価値は、商品や接客サービスに他ならないわけだけど、僕が提供していたサービスが本当にお金を払う顧客にとって気持ちの良いものだったのかと考えると……まあ、当時は若かったし、気に入らないお客様がいらっしゃったら、ムスッとしていたこともあったと思う。恥ずかしい話だ。当然、金額として評価するのは困難ではあるだろうけど、700円を貰っているのであれば、自分としても700円以上の仕事をしっかりとせねばなるまい。それは仕事をする上での当たり前の摂理でもある。

 今、社会人になってからも基本的な考え方はそれであって、現在は時給ではなく月給として給与を頂いているが、自分が1日9時間程度の仕事で1ヶ月の給与を貰うための、本来的な金額に見合った仕事は出来ているのだろうか? なかなか難しい問題ではある。

 雇い主にとって、利益の追求が大切なことのひとつではあるが、それの一助として従業員が存在し、私もその一人である。利益に直結する業務を担っているのであれば良いけれど、そうではなくて、顧客にとって何の価値もない作業的な業務を繰り返しているのであれば、給与が上がらないのも当然かも知れない。雇い主に対して、自分自身の価値をアピールするのであれば、顧客の満足度向上も当然であるし、更にそれが明確な利益の向上に繋がっているのであれば、大手を振って「自分は現在の月給に見合った仕事を出来ている!」と力強く宣言も出来るかも知れないが、社会生活を10年近く送ってきて、まだその頂には達せていない。あくまで、自己評価として。

 まあ、ブラック企業的な考え方で「顧客の満足にも貢献していないし、利益も上がっていないのだから、賃上げ要求など以ての外!」なんてのは、問題がある思考ではありますが、それもある種、一理はあるかも知れない。いや、だからといって「利益にならない仕事してるんなら無給だよ!」なんてのは筋が通らないが、事務的な作業に徹しているだけで、顧客に対しての利益を何ら生んでいない状態であるならば、自信を持ってお金を貰うことも出来ない。では、自分にとって顧客に提供出来る満足やサービスとは何なのだろうか? と日々、試行錯誤を続けることは必要であると感じる。

 

 少し話題が脱線するかも知れないが、僕が学生の時、デザイン系のあるコンペに応募をしたことがある。それは、僕のクラス全体の取り組みで、皆が一様に時間を掛けて作成したそれぞれの創作物を世に訴えるひとつの機会であった。ポスターの公募だったのだけれど、ひとつ付加要素として主催者側から提出を義務付けられていたのは『作品に対してのコメント』だ。僕は時間を使うのが下手だったせいもあって、1日で作品を仕上げたが、周りの皆は1ヶ月程度の時間を要していた。当たり前だが、付け焼き刃のようなその作品に対して僕が出来ることはコメントを使ったハッタリだった。作品に対してコメントを求められているということは、そこに理由が存在するだろう。『主催者がどういったコメントを欲しているのか?』その点に意識を向けることは重要なのではないだろうか。

 周りの学生は皆コメントに同じようなことを書いていた。

「この作品を作るのには苦労した。なにせ数十時間掛かっている」ポスターの作成に対しての苦労話が幾度となく繰り返されていた。しかし、僕はそこで皆と違う方向を目指してみた。主催者が求めているのは苦労話なのだろうか? いや、そうではないだろう。作品に対して掛けた情熱ではなく、その作品が何を訴えかけたいのか、そもそもコンセプトは何なのか? そういった所なのではないか。

 コンペの過去の受賞作品に付けられたコメントを読み漁り、そうした点に気が付いた僕は、一夜漬けで作ったような作品に、コンセプトは当然ながら、この作品がどれだけコンペの趣旨に沿った理念を含ませているか――そうした点に注視したコメントを書いて提出してみた。

 結果として、僕の作品は(運の良さもあるだろうけど)、クラスで唯一、受賞に至ったのだった。この結果に周りからは非難囂々で大変な目にあったわけだけど、ようは苦労をしたからといって、それを評価する人にとっては全く関係がない、ということなのだ。学んだことは大きかった。

 

 人気のない漫画家がどんなに時間を掛けて作品を作っても、それが面白くなければ売れない。時間を掛けずとも、内容が面白ければ売れる。顧客にとっては面白さこそが価値であり、お金を掛けるに値する。これは、創作物関連に限らず、どんな仕事であっても普遍の道理なのではないだろうか。

 アルバイトのスタッフが「自分の仕事は時給に見合っていない」という。「ならば、どうして時給に見合っていないかを教えて欲しい」というと「新人スタッフの教育が大変」だとか「荷物の整理が大変。重いから」といった話をよく聞く。しかし、自分が選んで履歴書を送った会社で、業務内容を理解して、納得をした上で働いているはずなのに、基本的なルーティンワークを<思ったよりも大変だった>と感じたからといって、それが時給と見合ってないというのは、あまりに短絡的に過ぎるのではないだろうか。もしもそこで、顧客に対しての価値の追求を果たしているとか、会社の利益向上に大きく貢献しているといった結果が伴っているのであれば、時給が見合わないという主張も概ね理解出来るのだが、なかなかそうした理解を得ることは難しい。何より、僕らが生きていく上でのサラリーは顧客が<期待をして>支払っている。ならば、その期待に応え、更に期待以上のサービスを提供することこそが、価値の対価としての給与になるのではないだろうか。まあ、ぶっちゃけた話、アルバイターにそこまで求めるのは酷かも知れませんが……。仕事の考え方としては一定の理解は示して頂きたいという僕自身のエゴが出てしまう。これも、良くないことだ。

 まだまだ、自分には至らない点が沢山あるし、今の給与を向上させたいとも考えている。ならば、その方法論として、どうすれば顧客に満足をして頂けるか、それを喜びに変えてもらえるかを、最近は考えている。

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